いいね!の輪廻を終わらせましょう。(2)
前回、「読者諸君と共に謎を解明していこう。」というかっこつけた終わらせ方をしてしまったせいで、なんとなく第2回を書く心理的なハードルが上がってしまい、着手するのに時間がかかった。
世の中の連載作家の皆様は、常に続きが気になる終わらせ方をして読者の期待を超え続けなければならないのだと思うと、ひたすらに尊敬の念が湧いてくる。
ところで、とあるラジオ番組にて、尊敬しているお笑い芸人の大島育宙さんが「SNSはあまり好きではないので、SNSのことを語ること自体が時間の無駄に思える」といった主旨の発言をされているのを耳にして、まさにその通りだと膝を打った。
そこで、この連載を打ち切ることを一度は視野に入れてみたのだが、すでに走り出してしまったことをあっさり放り投げてしまうのは自分のいつもの悪い癖なので、今回はがんばって続けてみようと思う。
ただし、SNSのことをどうのこうの言うのは、この連載を持って卒業することを心に決めた。
さて、前置きが長くなった。SNSを辞めることは善いことなのだろうか。
善いことのような気がする。善いことに違いない。
ただ、なぜそう感じるのか。
その結論を得るために、公平・平等の観点から、SNSをやることのメリットもきちんと記述しておくべきだと思うのだが、今更それをするのはとても面倒くさいのでやらない。
その代わりにSNSに詳しい専門家のご意見を添付しておく。

よし。
これで、私がどちらかに偏った見方はしていないことが明白になったと思う。
そう、中立・中庸な観点で真理に迫ろうとしているのだ…!
さて、反対にSNSを辞めたことでどんな変化があったかを考えてみよう。
まず頭に浮かんだのは、SNSで発信をして「いいね!」を得ることによって、小さな承認欲求を満たそうとしているみみっちい自分を発見しなくて済むのがとても心地よい。
例えば、どこかに旅行に行ったときや、何かのイベントに参加してみたとき。
それをSNSに投稿することによって、他人に自慢したいという気持ちが自分の中に少しもないかというと、少しはある気がする。いやいや、かなりある気がする。いやいや、めちゃんこある気がする。
それに、ちょっと哲学的なことをつぶやいてみたりするときには、ちょっと頭よく見られたいなという邪な気持ちがあったりする。
それが、自分自身でなんとなく気にかかる。
自慢する気持ちもなく、そして他人にこう見られたいという気持ちもなく、気軽に自然に投稿できる人を、皮肉でもなんでもなく素直に尊敬する。
考えすぎだ、もっと気楽に考えればいいのだと何度も思い込もうとしてみたが、一抹の気持ちわるさを拭い去ることができないのでもう諦めた。
とにかく、SNSを辞めた今となっては、そんなみみっちい自分を発見せずに済む上に、なんとなく全てのことを他人の目を気にせず、しっかり自分の心で味わえている気がする。
次に、SNSの中にだけ生息している謎の人種たちによって、無闇に心を傷つけられなくて済むのもいい。
どんな人種かというと、意味もなくやたらと暴力的な言葉を使う人間や、人の努力を冷笑することしかできない人間、極端な政治思想を発露する人間、過激な暴露ネタでインプを稼ごうとしている人間などがそれである。
そんな人たちが使う鋭利な言葉を目にすると、何故かこちらの心まで傷つけられる気がする。少しセンシティブになりすぎているのかもしれないが。
それで思い出したのだが、自分自身が誰かの悪口を言うようなとき、当然その悪口は自分に向けての言葉ではないのに、自分の脳は自分が言われたように錯覚してしまうらしい。
SNSで自分とは無関係の悪口を眺めることによって、それと同じ現象が起こってしまう気がする。
それにしても、実生活でそうした人種を目にすることはほとんどないのに、SNSの中の世界、とりわけX界隈には大量に生息している。不思議だ。
人の性質は本来悪であって、それがSNSによって暴露されるのかなと思いもしたのだが、ちょっと違う気がする。
SNSによって、人の悪い部分がやけにドライブされてしまっているというか。
Xでめちゃんこ悪口言っている人でも、実際会ってみたらけっこう良い人だったりするんじゃないかな。わからない。
SNS空間がもっと柔らかい言葉を使う場所にならないかと期待していた時期もあったが、むしろ日に日に言葉の刃が研ぎ澄まされていっているように感じる。この先もどんどん危ない場所になっていくんだろうなあと思うと、やってられん。
「2ちゃんねる」に書き込みをするのは恥ずかしいことだという感覚を、誰しもが少なからず持っていると思うのだが、Xにつぶやくこともそのくらい恥ずかしいことになっていくんじゃないかと思ったりしている。
というか、もはや私はそう思っている。
また、このサイトに書いているエッセイや、自分で配信しているPodcast番組などで、何度かSNSを否定するようなことを言っているのに、それでも引き続きSNSアカウントを持ったままの状態でいることが、何となく正々堂々としていない気がしてきていた。
批判するなら、まず自分が辞めてからだろう。これで文句は言われないはずだ。
最後に、暇な時間にSNSを眺める時間が減ったので、本を読んだり、ギターを弾いたり、満足感の高い余暇に時間を使えているのもいい。
なんとなく時間の流れがめちゃくちゃ遅くなったように思う。世界ってこんなに何も起きないんじゃなと感じている。(たまに世界のどこかでミサイルがぶっ放されたりはするけれども。)
SNSをやっていた頃は、なんというか、世界というのは濁流の川のように猛スピードで流れていて、その中を押し合いへし合い、みんなでごちゃ混ぜになって、息も絶え絶えに泳いでいたような感覚があった。
そこでは、自分の言葉も自分の存在も、あっという間に流されて消えてなくなる。
今はちっちゃい用水路を一人でゆったりと泳いでいるような感じ。
自分のサイトに、自分だけの楽しみとしての言葉を、ゆっくりと綴る。
それによって、自分の生きた痕跡をしっかり残せている気がする。
長くなったので、書くのが疲れてきた。そろそろ終わりたい。
SNSにはたしかに良い面もあると思うし、その恩恵にも確実にあやかってきた。
だが、だんだん自分には合わないものだと感じはじめた。
とにかく、自分の心を、自分の存在を大事にするためには辞めた方がいいと感じたし、辞めて正解だったと思う。
たぶん今後も、アカウントを消したことを後悔することはないだろう。
そして、このように長々とSNSの悪口を書き連ねてきたのだが、書けば書くほど、こんなことはみんなもう十分わかっているのではないかという気もしてきた。
SNSがなんとなく良くないなってことくらいはみんな知っていて、だけど、どうにも辞めるきっかけがなかったり、まあ辞めてしまうのはもったいないかってなったりしている人が大半なんじゃないかと思う。
そんな人たちには、「大丈夫、辞めても問題ないぜ」と私は言いたい。
さて、「いいね!」の輪廻から抜け出した先に一体どこへ向かうのか。
SNSについて語ることはこれで卒業するので、もう読者諸君と共に謎を解明することはできない。
この先はひたすら用水路を泳いでいくのみだ。