『書けないんじゃない、考えてないだけ。』かんそう
2024.08.07
タイトルがぶっ刺さりすぎた。
最近、日記をぽつぽつ書いてみて気づいたことは、書いてみると案外書けるということだ。これまで自分の意見がない、色んな経験をしてみてもそれに対する感想が出てこない、と思っていたのだけれど、文章を書くためにきちんと考えてみると、ちゃんと自分の意見が出てくるんだということが分かってきた。なんか自分て空っぽな人間だなと思ったりすることもあったので、そのことに気づけたのは本当に文章を書いてみたことによる収穫だった。
そんなことを思っていたところに、このタイトルを持って来られると読まずにはいられない。
『文章力=文章について本気出して考えた時間の量』ということが、この本の冒頭では繰り返し強調される。語彙が豊富で、語り口も滑らかな文章がスイスイ書ける人間がいるわけではない。本気で文章と向き合っているか、そうでないかしかないということらしい。なんか書く勇気が湧いてくる。
この本の中で特にブッ刺さったのは、文章を書くときはキモさのリミッターを解除せよというあたりだ。リミッターを解除している例として、著者は秋元康を挙げる。AKB48や乃木坂46の歌詞を聞いて、常々よくこんな気持ち悪い歌詞をあのおじさんが書けるなあ、すごいなと感心していたので、あー、このくらいリミッターを解除して恥ずかしい文章を書いていいんだなと思ったりした。
最近、書くことに関する本をよく読むのだけれど、メモを取ったり、線を引いたりすることが多いのは、「自分の意見を怖がらずに書けばいい」みたいなところがとても多い気がする。これまでかなり自分を抑えてきたんだなとしみじみ思う。それこそが、自分の意見がない、と思い込んでいた原因な気がする。綺麗な意見ではないけれど、なんかごちゃごちゃした曖昧で濁った気持ち悪い意見なら、いくらでも自分の中にあるような気がするんだ。
これまでの自分を振り返って考えてみると、なんか性格良いね、って言われたくて生きてきた人生な気がする。その一方で、そんなことしてるのきしょく悪いぞ、って思っている自分とか、大体の意見に対して、え?本当にそうかなと疑わずにはいられない天邪鬼な自分が確かにいて、ていうか、そっちの自分でいる時の方が多いんじゃないかって思ったりもする。まあ、本当の自分とかどうでもいいんだけど、とにかく、文章の中でくらい自分の好きなように語らせてもらおうと思ったりした本でした。