2025・01・24

鳩ってなんで飛んでんだろうねえ

仕事の合間に散歩に行くのが、このところの日課になっている。

音楽を聴くわけでもなく、ただ歩くという行為をしてみると、なんだか色々な考えが深まる。

常に頭の中が言葉でいっぱいの私にとっては、絡まりあった思考の糸がほぐれていくような感じがして、とても良い時間の過ごし方だなと思う。

いま、村上春樹の『職業としての小説家』という本を読んでいるのだが、小説家になるために重要なのは生活の中の物事や事象を仔細に観察して、それらのディティールを記憶しておくことだ、みたいなことが書いてあった。

私は本で読んだことにすぐさま影響を受けてしまう軽佻浮薄な人間なので、なるほど、なるほど、Haruki Murakamiが言うのならそれは真理なのだろう、よしきた、私もやってみよう、という次第になった。

散歩しながら、色々なものを眺める。

いつもの公園。

暮れていく街並み。

落ち葉。

曲がったガードレール。

いつもは何気なく歩いていて見慣れた光景も、よく観察してみると輝きに満ちた素晴らしい世界に生まれ変わった。

ということには、ならなかった。

それはまさに見慣れた光景であって、それ以上でも以下でもなかった。

「面白きこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり」というのも案外むずかしい。

しかし、素晴らしいかどうかは別として、そこには確かにこれまで見落としていたディテールがあった。

あの公園って水曜日には遊んでいる子供が多いな、あ、水曜日は学校が少し早く終わるのかしら。

とか、

あの曲がったガードレールは何年前からそうなっているのだろう。もしかして大事故がそこで起こったのかな。人が死んでいないといいけど。

などと思考を辿ってみると、なにか広がりを持った世界が自分の中に立ち上がってくるような感覚を覚えた。

こういったものたちが、いつの日か小説のマテリアルになっていくのかもしれないなと思った。

ところで、公園で群れている鳩を見ていて思ったのだが、なぜ彼らは地面を歩いているときに頭をひょこひょこ前後に揺らしているのだろう。気持ち悪くなったりしないのだろうか。

試しに私も頭を揺らしながら歩いてみたのだが、すぐに気持ち悪くなってやめた。

なぜ鳩はそうならないのかしら。もしかして、なっているのかな。そうだとしたら、鳩は地面を歩くのが本当は気持ち悪くて嫌なのかもしれない。あ、だからこそ、彼らは空を飛んでいるのか。

あの澄んだ大空を飛んでみたいんだ!という夢と希望を翼に乗せて飛んでいるわけではないのかもしれない。

そんなふうに考えてみると、人もおんなじで、夢と希望をもとに何かに挑戦するよりも、今この状態が不快だから挑戦するって言う方が力が湧いてくるような気もする。

私自身、いま個人で細々とお仕事をしているのだが、それはサラリーマンの生き方は私のような頭の回転が鈍い人間にはしんどい、と思ったから始めたのであって、ビジネスによって世界を変えてやるんだ、というような希望はカケラもなかった気がする。

いや、カケラもなかったは言い過ぎか。ちょっとはあったかも。

鳩の歩き方を見ているだけでいろんなことを考えられた。

Haruki Murakamiは何か大切のことを言っていたみたいです。

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